市松抱き人形 藤村 光環

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Trad-doll.jpg 世界各国、その国の文化を表した姿で人形は有ります。役割も様々で、子供達のおもちゃであったり、装飾や、祭祀・祈願にも登場します。

 日本人形の歴史も古く、約1000年以上前に登場します。
医療の発達していなかった時代、親は生まれた子供が何とか無事に育って欲しいと願い、子供が生まれると人形を飾り、いざという時には身代わりになって欲しいと祈りました。 写真:伝統的な市松人形

creat-doll.jpg そして、世界一の長寿国となった現代でも3月「雛祭り」や5月「端午の節句」には、人形を飾り子供たちの健康を祈願するお祭りとして伝えられ、日本人と人形との神秘的なつながりは引き継がれています。

 市松抱き人形はちょうど、子供たちを人形にした感じかな。 そして、ただ飾って楽しむだけじゃなくて、「リカちゃん」や「バービー人形」と同じように 衣装の着せかえをして楽しめるんだ。昔、女の子たちはお母さんに着物のぬい方をおそわりながら、 着替えを作る事で、着物をぬう練習や着物の着方を練習したんだ。今でも、お母さんやおばあちゃんと、そんな楽しみ方をしてもらいたいと思っているんだ。 写真:創作を加えた人形


藤村 光環 / 作品

市松抱き人形 / 工程

 名 前:藤村 光環
 工芸品:市松人形
 住 所:墨田区本所3-28-2
 略 歴:昭和28年 東京墨田区生まれ

人形師 光龍斎 滝沢豊太郎氏の流れをくむ父 初代藤村紫雲に16歳にて師事。

昭和55年 第一次、昭和58年第二次東京都伝統工芸訪中団として訪中。
昭和58年 米国 シアトル・シカゴにて製作実演。シアトル市より名誉市民授与
 同 年  銀座松屋 初個展開催。(以後毎年恒例)
昭和60年 東京アメリカンクラブ個展。札幌東急美術サロン個展。
昭和62年 あかね書房【人形作り】出版。
昭和63年 ソ連ゴルバチョフ大統領に市松人形一対献上。
平成 元年 池袋西武 三人展
平成 2年 パリ装飾美術館に創作人形・市松人形永久保存。パリ シラク市長に市松人形献上。
 同 年  パリ市・トゥールーズ市にて大使館主催 日本紹介週間に参加。
 同 年  ニューヨーク市・フォートリー市にて製作実演。(感謝状授与)
平成 3年 パリ装飾美術館【世界の人形展】出品。
平成 5年 名古屋名鉄アートサロン個展。(恒例)
平成 6年 ニューヨーク CAST IRON GALLERY 三人展。
平成 8年 札幌丸井今井 美術画廊 二人展(恒例)
平成 9年 銀座松屋 画廊 個展 (恒例)
平成12年 東京都墨田区登録無形文化財保持者認定
 同 年  札幌コンチネンタルギャラリー グループ展
平成13年 金沢名鉄 画廊 個展
平成14年 東京都知事賞・優秀技能賞 受賞
 同 年  名古屋ノリタケギャラリー 個展
 同 年  イタリア チェルタルド市 7人展


・始めの10年は、道具のあつかいを体に染み込ます努力。
・次の10年は、人形に自分らしさをどう出せるかの勉強。
・それからの10年は、先輩たち(江戸・明治・大正)の復刻に夢中になりました。
・そして今、伝統的な形を保ちつつ、メッセージと創造のスパイスを加えた人形作りをしています。

仕事のこだわり:「伝統工芸な仕事」とよく言われますが、昔ながらの形や必要性だけにこだわっていたのでは、いつの間にか、"必要ない物"になってしまうかもしれません。現代から未来えとつなげていくためには、その時代の空気のようなものを取り入れて、仕事をする事も大切です。

 材料や工程にこだわりながら、今の自分が思うことや感じることを少しだけ、"創造のふりかけ"にして人形作りをしています。そして次の時代に、日本人形職人の文化として引き継いで行けたら嬉しいなと、思います。

 

■ 少年時代

 私が生まれたのは 昭和28年(1953年)。太平洋戦争が終わって8年が過ぎた時代です。日本中の人達が、新しい国作りと豊かさを求めて努力し、高度成長を続けていた時代に少年時代を過ごしました。

meiko-1.jpg 東京の下町ですが、今のようにテレビや自動車やゲーム機械もたくさん有る時代ではなかったので、遊ぶのは近所の公園。学校が終わると夕方になるまで、公園はお友達でいっぱいでしたよ。ランドセルを放り出してまっしぐらでした。 写真:2歳の頃

 鬼ごっこ・缶けり・めんこ・ベイごま・紙芝居。時々回ってくる粘土細工のおじさんは、とっても懐かしく思い出します。ほとんどの遊びがアイディアと想像力を生かした手作りで、いつも大勢のお友達と過ごしていた思い出です。将来はおもちゃ屋さんになりたいと夢見ていました。だんだんテレビが普及し始めると、鉄腕アトムや鉄人28号、少年ジェットなんて懐かし~い。ゴジラが映画館で始まったのも小学生の頃でした。遊びの中からたくさんの事を学んだ気がします。

■ 職人になるきっかけ
meiko-2.jpg 私が小学生のころは人形つくりの 手伝いをよくしていました。自分から進んでしていたわけではありませんが、いそがしい時期になると学校から帰って も遊びに行けず、手伝いがまっていました。そんな時は、人形屋に生まれたことをうらんだ事もあったし、将来、この仕事だけはしたくないと思ったものです。

 そして、中学・高校生と進むうちに将来の仕事を考えるようになったんだ。「自分はどんな仕事をしようかな」、「どんな仕事がむいてるかな」ってね。子供のころから手で物を作る事が好きだったし、性格的にも会社勤めは向いていないような気がしてたんだ。 写真:19歳 修行時代

 夏休みには色々なアルバイトをしたよ。もちろん家業の人形作りの手伝いもね。そんな時に父親の人形作りにかける情熱や、ひたむきな仕事ぶりを見ているうちに「人形作りっていいな」と、魅力を感じ始めたんだ。あんなに嫌っていたのに不思議だね。そして「やってみよう」と思ったわけです。

 さっそく高校は1年生でやめて人形作りの修行に入ったんだ。親は高校をやめる事には大反対だったけど、なんとか説得したんだ。 心から、真剣にね。人形作りの学校に転校したようなものだね。

■ 職人になってから現在

 父親に人形作りを教わったけど父親の作る人形の顔とはまったくちがいます。 人が手仕事で作り出すものは、その作り手の個性が出るんだね。生まれた環境や体験、物事の考え方や思っていることなどが、人形の表情に出ます。

Father-doll.jpgmy-doll.jpg 修行時代に、師匠である父親に質問したことがあるんだ。「良い人形を作るにはどうしたらよいのですか?」、そうしたら、こう答えてくれたよ。「良い人になることだ」ってね。

 その時は、からかわれているようでその意味の深さがあまりよくわかりませんでしたが、仕事を続けてゆくうちによくわかるようになりました。つまり、優しい素直な気持ちで人形作りをしないと、優しい素直な顔立ちの人形が出来ないと言うことです。「手仕事は自分自身が形となってあらわれます」そこが、最も楽しさでもあり、最も怖さでもあるんだ。
写真左:<初代紫雲 作>    写真右:<光環 作>


■ 職人哲学

「自分の目で見るだけではなくて、心の目でもよく見ること」
「美しいものや素晴らしいものを見て、感動する心」
「多くの人と出会って、たくさんの喜怒哀楽を楽しむこと」

 つまり、季節を感じたり、旅をしたり、新しい友人と出会ったりしながら、目で見る観察と心の目で見る観察眼を持って、ものごとに感動する心をやしなうことが大切だと考えています。

 そしてその感動を、人形という形をかりて、何かを表現すること。伝えること。人形作りは楽しい仕事ですよ。

■ 私の目標・夢

 世界中人形のない国はないと言ってよいほど、 それぞれの国々にその国の特徴を持った人形があります。

 世界中の多くの人達に 日本の人形のよさを紹介してゆきたいと思っています。

■ 連絡先

itimatsudakiningyou.jpg氏 名:藤村 光環
住 所:墨田区本所3-28-2
URL:http://meikodoll.exblog.jp/