奈良時代より現代に伝えられている伝統工芸の「錺金具」は、建築物や工芸品を、より美しく、より丈夫にしたいという「装飾」と「補強」を兼ねて伝えられてきました。法隆寺の金堂の屋根には忍冬唐草模様の破風拝みと隅木の木口に、また五重塔の各重の垂木・尾垂木の木口に透彫りの「錺金具」が飾られています。
平安時代になると、貴族の財力によって平等院鳳凰堂や中尊寺の金色堂に代表される阿弥陀堂建築が多く建てられ、そこには宝相華模様の「透彫錺金具」が非常に多く用いられました。桃山時代になると「錺金具」も大きく豪華になり、模様も熨斗目文様(のしめもんよう)に細かい動植物が施されるようになりました。代表的な模様としては、菊唐草・太閤桐・梅・柏・牡丹などの植物や、鶴・亀・龍・虎・鷲・鷹・鳳凰などの動物が、時代をこ越えてモチーフとして使われています。
「錺金具」の製作はほとんどが注文製作です。注文のあった金具を、取り付ける木の部分に合わせて寸法を決め、または紙を当てて型紙を起こします。切り取った地金に直接下絵を描き、鏨(たがね)で模様を打って行きます。唐草模様が一般的であります。次に魚子(ななこ)を蒔くことにより、伸びた地金を平らにします。透彫りは主に宝相華模様が多く、模様を残すように不要な部分を糸鋸で切り取ります。鑢をかけて寸法を整え木槌でふくらみをつけ、メッキや金箔で仕上げます。お神輿には約2000個もの「錺金具」がついており、製作には約3ヶ月を要します。
名 前:塩澤 政子
工芸品:錺彫刻金具
住 所:墨田区石原1-41-15
略 歴:昭和19年生まれ
昭和37年 村田女子商業高等学校を卒業後家の仕事に就く
そのままずーっと現在に至る。
昭和46年より海外研修9回
香港・イギリス・スペイン・イタリア・中国・トルコ・モロッコ・パキスタン・フランス・アラスカ・チュニジア
☆仕事のこだわり:納期を守ること。最善を尽くすこと。神輿の金物と言うのは神輿を製作する時、一番最後の仕事になります。木地やさんが木地を作り、その時点で金物の型を取ります。塗師やさんが塗りに入り、その間に金物の製作に入るわけですが、鍍金やさんから上がってくると取り付けにかかります。最後に瓔珞が一仕事になります。よくあることですが予定は未定といい、最後のしわ寄せが錺やへきます。納期がない時の2・3日の徹夜は毎年のことでした。皆様のお祭りの大切なお神輿を作らせていただいています。お祭りは待ってくれません。なんとしても間に合わせなくてはなりません。
伝えたいこと
■ 少年時代
神輿屋の家に生まれたのが運の尽き、とそういう訳ではないが家族揃っての旅行など我が家では1度か2度ぐらいなものでした。特に夏は忙しかったので見かねた親戚のおば達が旅行に連れて行ってくれたり、いとこが映画に連れて行ってくれたり。後はもっぱら学校の海や山の行事に参加していました。
高校時代には山岳部に入って西穂高・焼岳・槍ヶ岳・白馬岳・常念岳など北アルプスを歩いていました。山に入ると縦走コースなので途中で引き返すことなど出来ないので、まず自分の体力にあった荷物を持ち、自分の脚で歩き、不平不満を言わずただひたすら歩いていると素晴らしい贈り物が待っていました。雲海の中を歩いているとそれは下から見れば雲の上を歩いていることになるし、夕日の落ちるとき、満天に輝く星空、ご来光を見るため朝早く、暗いうちから寒さに震えながら待って待ってそのほんの一瞬の為にすごした時間はすごく貴重なものでした。
山は実に多くのものを教えてくれました。自然の偉大さも。その後の私の人生に与えてくれたものは数え切れないほどです。
■ 職人になるきっかけ
高校3年の就職活動のさなか、村田照子校長先生の授業の時、先生より「自分を一番必要としている会社で働きなさい」とのお話がありました。そのとき某電気会社の入社試験をひかえていた私は秘書になるのが希望でしたが、ん、待てよ、その会社で働く人は私でなくてもいいんだ。でも、私の家の仕事を手伝ってくれる人は私以外にはいないのではないかとふと思いました。そうだ、父の仕事を手伝おうとそのとき決心しました。
父は仕事が大好きでよく働いていましたが、仕事以外のことにはあまり関心がありませんでした。商業学校で学んだことも生かせるし、父も仕事に専念できるし、そう、そうしようと思ったのが今の私の出発点でした。
■ 職人になってから現在
子供のころから仕事の手伝いはやらされていました。仕事とは何も仕事の出来る人だけで成り立っているのではないのです。親方の父がいて、職人さん達がいて、母がいて、そうそれでも私でも出来る仕事もあるんです。そんなことで家の仕事を手伝うようになりました。家の仕事を手伝うと言うことは良いこともありました。いろいろなお稽古事に行くことが出来たのです。お茶
に・お花・洋裁・和裁・編物・お料理。そう彫金も勉強しました。
スペインのアルハンブラ宮殿の裏門の外に唐草の原種と言われている草を見ました。その草がイスラムの世界ではアラベスクの模様となりヨーロッパからイスタンブール・シルクロードとつながって、泥棒さんでおなじみの日本の唐草の風呂敷につながっているとは本当におもしろいものですね。
旅行の楽しみのひとつに訪れた国らしい何かを求めたくなります。
我が墨田区に2012年春に開業する「東京スカイツリー」そして「北斎館」。日本中・世界中のお客様をお迎えいたすことにあたりまして、私たちも物づくりの町 下町すみだを生かしたものが作りたいと今から商品開発に取り組んでいます。
子供のころから仕事の手伝いはやらされていました。仕事とは何も仕事の出来る人だけで成り立っているのではないのです。親方の父がいて、職人さん達がいて、母がいて、そうそれでも私でも出来る仕事もあるんです。そんなことで家の仕事を手伝うようになりました。家の仕事を手伝うと言うことは良いこともありました。いろいろなお稽古事に行くことが出来たのです。お茶
に・お花・洋裁・和裁・編物・お料理。そう彫金も勉強しました。
■ 職人哲学
私の家では座ってないと仕事になりません。そんな訳で外のお使いは私が出るようになってしまいました。そこでいろいろな職人さんに出会いました。本当に腕が良くて、いい仕事をしている職人さんにもたくさん出会いました。また、たまにはちょっとずるい職人さんにも出会いました。
私たちは自分の所だけで仕事が完成するわけではありません。最初に仕事を(外注)お願いするときは本当にどきどき物です。どんな仕事の出来栄えかやって見なければ分からないという部分がありますので。でも父の代からの職人さんがどんどんいなくなっています。仕事を継いだ若い方までどんどんいなくなっています。いま、世の中の流れは決してよくありません。でも何とか仕事を続けていけば、最後の一人に残れば仕事はあるでしょう。仕事の量が減っても仕事をする人も減っていますから。それには精一杯良い仕事をして頑張ってなんとか生き残れる工夫も必要ではないかと痛感しています。
■ 私の目標・夢
父の代からの仕事にプラスして、もっと身近に錺金物を楽しめる商品作りが出来ないものかといろいろ考えています。銅の素材・真鍮の素材・銀の素材・金の素材。素材を活かすにはどうしたらよいか?無国籍ではない、日本を生かして、またそれにとらわれすぎない何かを製作していつか個展を開けたらなーと言うのが私の夢です。
■ 連絡先
氏 名:塩澤 政子
住 所:墨田区石原1-41-15(工房)
電 話:03-3621-7983
FAX:03-03-6279-0373
メール:shiozawa@omikoshi.co.jp
URL:http://omikoshi.co.jp