私が生まれたのは 昭和28年(1953年)。太平洋戦争が終わって8年が過ぎた時代です。日本中の人達が、新しい国作りと豊かさを求めて努力し、高度成長を続けていた時代に少年時代を過ごしました。
東京の下町ですが、今のようにテレビや自動車やゲーム機械もたくさん有る時代ではなかったので、遊ぶのは近所の公園。学校が終わると夕方になるまで、公園はお友達でいっぱいでしたよ。ランドセルを放り出してまっしぐらでした。 写真:2歳の頃
鬼ごっこ・缶けり・めんこ・ベイごま・紙芝居。時々回ってくる粘土細工のおじさんは、とっても懐かしく思い出します。ほとんどの遊びがアイディアと想像力を生かした手作りで、いつも大勢のお友達と過ごしていた思い出です。将来はおもちゃ屋さんになりたいと夢見ていました。だんだんテレビが普及し始めると、鉄腕アトムや鉄人28号、少年ジェットなんて懐かし~い。ゴジラが映画館で始まったのも小学生の頃でした。遊びの中からたくさんの事を学んだ気がします。
私が小学生のころは人形つくりの 手伝いをよくしていました。自分から進んでしていたわけではありませんが、いそがしい時期になると学校から帰って も遊びに行けず、手伝いがまっていました。そんな時は、人形屋に生まれたことをうらんだ事もあったし、将来、この仕事だけはしたくないと思ったものです。
そして、中学・高校生と進むうちに将来の仕事を考えるようになったんだ。「自分はどんな仕事をしようかな」、「どんな仕事がむいてるかな」ってね。子供のころから手で物を作る事が好きだったし、性格的にも会社勤めは向いていないような気がしてたんだ。 写真:19歳 修行時代
夏休みには色々なアルバイトをしたよ。もちろん家業の人形作りの手伝いもね。そんな時に父親の人形作りにかける情熱や、ひたむきな仕事ぶりを見ているうちに「人形作りっていいな」と、魅力を感じ始めたんだ。あんなに嫌っていたのに不思議だね。そして「やってみよう」と思ったわけです。
さっそく高校は1年生でやめて人形作りの修行に入ったんだ。親は高校をやめる事には大反対だったけど、なんとか説得したんだ。 心から、真剣にね。人形作りの学校に転校したようなものだね。
父親に人形作りを教わったけど父親の作る人形の顔とはまったくちがいます。 人が手仕事で作り出すものは、その作り手の個性が出るんだね。生まれた環境や体験、物事の考え方や思っていることなどが、人形の表情に出ます。
修行時代に、師匠である父親に質問したことがあるんだ。「良い人形を作るにはどうしたらよいのですか?」、そうしたら、こう答えてくれたよ。「良い人になることだ」ってね。
その時は、からかわれているようでその意味の深さがあまりよくわかりませんでしたが、仕事を続けてゆくうちによくわかるようになりました。つまり、優しい素直な気持ちで人形作りをしないと、優しい素直な顔立ちの人形が出来ないと言うことです。「手仕事は自分自身が形となってあらわれます」そこが、最も楽しさでもあり、最も怖さでもあるんだ。
写真左:<初代紫雲 作> 写真右:<光環 作>
「自分の目で見るだけではなくて、心の目でもよく見ること」 「美しいものや素晴らしいものを見て、感動する心」 「多くの人と出会って、たくさんの喜怒哀楽を楽しむこと」
つまり、季節を感じたり、旅をしたり、新しい友人と出会ったりしながら、目で見る観察と心の目で見る観察眼を持って、ものごとに感動する心をやしなうことが大切だと考えています。
そしてその感動を、人形という形をかりて、何かを表現すること。伝えること。人形作りは楽しい仕事ですよ。
世界中人形のない国はないと言ってよいほど、 それぞれの国々にその国の特徴を持った人形があります。
世界中の多くの人達に 日本の人形のよさを紹介してゆきたいと思っています。