小学校低学年の頃は学校から帰ると工房の前の公園で祖父がゲートボールをやっていたので良く見に行きました、日曜日になると朝早起きして荒川の土手で野球の練習、高学年になる頃やっとレギュラーに当時から体が大きかったので当然キャッチャーです。その頃はジャイアンツが大好きで父が透明なガラスにマジックで「好きな絵でも字でも何でもいいから書いてみなさい」と言われジャイアンツのマークや原、篠塚、吉村、と言った選手の背番号などを書き、それを父が削ってくれたのがとても嬉しかった事を覚えています。
私は定時制高校に通っていたので昼はバイト夜は学校、と言った感じでいろいろなバイトをしました。19才位の頃1~2ヶ月程バイトもせずにいたら父に「何もせず家に居るなら家の仕事手伝え、バイト代はやるから」といわれたのがきっかけです、お金ほしさで始めましたがまだ家業を継ぐなど考えてもいませんでした。
当時は父一人でメーカーの仕事をしていたのでとても忙しかったと思います初めの頃は洗物や箱ずめ、徐々に作業の一工程を教えてもらいました。一番最初は硝子の決まった場所にグラインダーを当てる事さえ難しいと感じていました。一日中同じ工程の作業なので雑になることもありよくカット面の状態、全体のバランス、とにかく神経の使う仕事だと思います。
その9年後にカット組合の青年部に入会した事が一つのターニングポイントだったような気がします。青年部とは50代位までの2代目3代目で構成されています。当時27,8才の私は下から2番目に若い跡継ぎでした。それは今でもあまり変わりませんが、(今は下から6番目!)組合での実演販売や小学校での体験教室は私にとって貴重な体験であり勉強の場です。
哲学といえるものはありませんが、常に作品を作るとき完成して手放したくないと思うような仕上がり(デザインのバランス、カットの技術)の作品を制作できるよう心がけています。 父の教えの中で「丁寧な仕事、他人と同じ様な物は作らない」といった言葉は私の教訓になっています。
これからは動植物の切子との組み合わせやアレンジで四季をガラスで感じれるような作品、古くから伝わる江戸切子と我が家の代々得意とする花切子とを上手く取り入れていけたらはよい作品が出来るのでは。江戸切子は観賞用しても実用品としてもお使いいただけるのですが「あなたのグラス毎日使ってるよ」とか「晩酌はあのグラスで」とこれからも多くの皆様に愛されるガラス作りをすることです。
氏 名:山田 真照
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