江戸切子 山田 真照
江戸切子 山田 真照
歴史・特徴など
江戸切子は天保五年江戸大伝馬町のビードロ屋加賀屋久兵衛が金剛砂を用いてガラスの表面に彫刻を施したのが江戸切子の始まりと言われております。江戸末期に生産された江戸切子は透明ガラスに金棒と金剛砂によって切子細工をし、木の棒等を用いて磨き行った手作業による手摺り工程による細工によって制作されたものと考えられている。明治期以後は薩摩切子の消滅による職人と技法の移転や海外からの技術導入により、江戸においても色被せガラスの技法・素材も用いられるようになり色ガラスの層は薄く鮮やかなのが特徴。加工方法も、文様を受け継ぎつつ手摺りからホイールを用いたものへ移行していく。江戸切子の文様としては、矢来・菊・麻の葉模様など着物などにも見られる身近な和の文様を繊細に切子をしているのも特徴である。
山田 真照 / 作品
江戸切子 / 工程
名 前:山田 真照
工芸品:江戸切子
住 所:墨田区立花1-4-14
略 歴:昭和48年 東京墨田区生まれ


平成 4年 定時制高校卒業後、父 山田照雄に師事
平成12年 東京カットグラス工業協同組合青年部入会
平成14年 ガラ-ジュBグループ展 この頃から作品展等に出品
平成15年 江戸切子新作展出品始める
平成18年 墨田マイスター認定
平成19年 墨田伝統工芸保存会入会
平成21年 山櫻 サクラテラスにてマイスタートークショーを行う
現在 東京カットグラス工業協同組合青年部所属
墨田区伝統工芸保存会会員


☆仕事のこだわり:江戸切子ではカットの技術は勿論の事、デザイン、全体の構成など気を使います。 花切子においてもカットする動植物などの特徴を捉えガラスに表現する事や、花のカットした面の一部を磨き陰影をつけ奥行きを表現したりと細かな作業に時間を費やすことが綺麗な仕上がりになります。どんなオーダーにも対応できるよう準備を心がけています。


伝えたいこと
■ 少年時代
小学校低学年の頃は学校から帰ると工房の前の公園で祖父がゲートボールをやっていたので良く見に行きました、日曜日になると朝早起きして荒川の土手で野球の練習、高学年になる頃やっとレギュラーに当時から体が大きかったので当然キャッチャーです。その頃はジャイアンツが大好きで父が透明なガラスにマジックで「好きな絵でも字でも何でもいいから書いてみなさい」と言われジャイアンツのマークや原、篠塚、吉村、と言った選手の背番号などを書き、それを父が削ってくれたのがとても嬉しかった事を覚えています。
■ 職人になるきっかけ
私は定時制高校に通っていたので昼はバイト夜は学校、と言った感じでいろいろなバイトをしました。19才位の頃1~2ヶ月程バイトもせずにいたら父に「何もせず家に居るなら家の仕事手伝え、バイト代はやるから」といわれたのがきっかけです、お金ほしさで始めましたがまだ家業を継ぐなど考えてもいませんでした。
■ 職人になってから現在
当時は父一人でメーカーの仕事をしていたのでとても忙しかったと思います初めの頃は洗物や箱ずめ、徐々に作業の一工程を教えてもらいました。一番最初は硝子の決まった場所にグラインダーを当てる事さえ難しいと感じていました。一日中同じ工程の作業なので雑になることもありよくカット面の状態、全体のバランス、とにかく神経の使う仕事だと思います。

その9年後にカット組合の青年部に入会した事が一つのターニングポイントだったような気がします。青年部とは50代位までの2代目3代目で構成されています。当時27,8才の私は下から2番目に若い跡継ぎでした。それは今でもあまり変わりませんが、(今は下から6番目!)組合での実演販売や小学校での体験教室は私にとって貴重な体験であり勉強の場です。
■ 職人哲学
哲学といえるものはありませんが、常に作品を作るとき完成して手放したくないと思うような仕上がり(デザインのバランス、カットの技術)の作品を制作できるよう心がけています。 父の教えの中で「丁寧な仕事、他人と同じ様な物は作らない」といった言葉は私の教訓になっています。
■ 私の目標・夢
これからは動植物の切子との組み合わせやアレンジで四季をガラスで感じれるような作品、古くから伝わる江戸切子と我が家の代々得意とする花切子とを上手く取り入れていけたらはよい作品が出来るのでは。江戸切子は観賞用しても実用品としてもお使いいただけるのですが「あなたのグラス毎日使ってるよ」とか「晩酌はあのグラスで」とこれからも多くの皆様に愛されるガラス作りをすることです。
■ 連絡先
江戸切子 山田 真照
氏 名:山田 真照
住 所:墨田区立花1-4-14
電 話:03-3612-6875
メール:glassnotakumi@ybb.ne.jp
URL:http://www.yamada-glassworks.com/