建築漆塗工 安宅 信太郎
建築漆塗工 安宅 信太郎
歴史・特徴など
漆塗りは数々の塗る技法がある。地場の塗り、春慶塗、堆朱、梨子地塗り等。建築漆工は用途によって使い分けするので塗り技法を全てマスターしなければならない。
歴史・特徴など
安宅 信太郎 / 漆塗 修理・修復
建築漆塗 / 工程
名 前:安宅 信太郎
工芸品:建築漆塗工
住 所:墨田区向島3-38-10
略 歴:昭和24年 東京墨田区寺島町生まれ


昭和39年 
中学校卒業後高校に進学したが三ヶ月で中退

昭和40年 
家業に入り親父の下に弟子入り 
定時制高校に入り昭和44年卒業

昭和48年 
親父の死亡にともない家業を継ぐ 
親父の一番弟子と共に漆工店を続け現在に至る

平成19年 
11月 墨田区登録無形文化財認定

平成22年 
11月 東京マイスタ―認定

平成23年 
2月  墨田区伝統的工芸技術保持者認定


現在は有名な寺院、長野の善光寺、鎌倉の建長寺、成田の新勝寺、池上の本門寺等有名な寺院、衆議儀長公邸、国立能楽堂等の国の建物、竹下夢路記念館特別室などの有名な私邸を数多く仕事する。


☆仕事のこだわり:建築関係の仕事なので納期は守るようにしている。色物の場合は銘木の種類、壁の色等を考え、色、艶を作り漆塗だけが目立つのではなく、周りとの調和を考える。


施主、設計士の人の気持ち、何を求めているか、相手の立場に立って作り上げるようにする。どう作り上げていくか考えている作業が好きで、経験を生かせる。それは数多くの方と接し、現場の中から学ぶことが多い。


伝えたいこと
■ 少年時代
親父の弟子4~5人と共に生活をしてきた。職人とはどういうものか子供の頃から親父に話を聞いて育った。

あまり勉強の好きな子供ではなかった。自転車が得意でよく曲乗りをし、学校でも評判になるくらいでした。友達は多くて現在でも友人関係は続いています。
■ 職人になるきっかけ
職人になるきっかけ
職人の家庭で育ち、手や服が漆でよごれているのがとてもいやで家業を継ぐのがいやだったが、私が高校の時に親父が病気の為に入院、数多くいた職人が一人辞め二人辞め、退院した時に誰もいなくなり、私が親父を手助けしなければならなかった。それが良かったのか親父からマンツーマンの厳しい修行が出来た。
■ 職人になってから現在
青年時代は自己との葛藤が経験不足の為に多くあったが、「負けてたまるか」との思いで頑張った。わからないことは人に聞く、良い物は素直に認める又、書物から学ぶその繰り返しでした。

現在は有名な寺院、長野の善光寺、鎌倉の建長寺、成田の新勝寺、池上の本門寺等有名な寺院、衆議儀長公邸、国立能楽堂等の国の建物、大好きな竹下夢路記念館特別室などの有名な私邸を数多く仕事する。また、現在は、文化財(東京都登録文化財の目黒雅叙園等の修理、修復にも携わっております。 写真:作業場にて
職人になってから現在
■ 職人哲学
職人哲学
現在の自分の経験だけで甘んじて物事を判断してはいけないと思う。もっと貪欲に学ばなければいけない。自己の感性を磨かなければいけない。その為に私は忙しい時間の中でも、絵画や焼き物など時間を作って見に行く事を自分の課題にしている。

数多くの方から学ぶ事がたくさんあるので人と接する事が大事であると思う。「自己を磨く」事が生涯の自分の課題であると私は思う。
写真:匠の競演にて
■ 私の目標・夢
子育てが終わったら、「古き伝統を新しき時代に生きる」との思いで洋室の中で和の世界が生きる物を若い設計士と共に考えて行きたい。
■ 連絡先
建築漆塗工 安宅 信太郎
氏 名:安宅 信太郎
住 所:墨田区向島3-38-10
電 話:03-3622-1582